【はじめに】
青い鳥の季節が終わりました。けふけふと咳き込んでいた幼子、すっかり元気になりましたね。
メーテルリンク著『青い鳥』をベースに今回の季節の物語は作られました。そこで、原作ではこんなシーンが有ったよ、という事をご紹介しつつ、Sky『青い鳥の季節』を読み解いてみたいと思います。幼子の「深い悲しみ」とは何だったのか…?
【第0幕 悲しみの幼子】
幼子が演じる季節の冒頭シーン。
すぐそばで青い鳥が鳴いても、その羽が舞っても、悲しみの底にある幼子は気付く事ができませんでした。
<原作ではどんなシーン?>
【第1幕 『御殿』】
ぽんぽんする若者を追って辿り着いた夜の天球儀エリア。精霊たちがテーブルを囲んでパーティーを開いているようです。
なんで踊ってんだ&キャンドルが湧いてくるんだ、と不思議に思われた方がいるかもしれません。
<原作ではどんなシーン?>
原作では、「幸福の館」で過ごす、「贅沢であること」に幸福を見出す紳士集団が、この日の12度目の宴会を開いています。 参加者の名は… (1)金を持つ贅沢さん (2)土地持ちの贅沢さん (3)喉が渇いていない時に飲む贅沢さん (4)お腹が空いていない時に食べる贅沢さん (5)何も理解せずにいる贅沢さん (6)何も知らずにいる贅沢さん (7)何もせずにいる贅沢さん (8)必要以上に眠る贅沢さん…。彼らは主人公を囲み、たくさんのご馳走を振る舞おうとしてきます。それを食べてしまった仲間たちは、考える力を失いその場に囚われてしまうのですが、主人公は誘惑に負けず、青い鳥を見つけるためお誘いを辞退する…っていうシーンです。
<第1幕、どんな解釈をする?>
キャンドルは贅沢、富の象徴。物質的な豊かさがあなたを一瞬幸せにしてくれるとしても、それはすぐに消えてしまうものなのです。
【第2幕 『憶い出の地』】
書庫を舞台に、煌めきを放つ親が幼い頃の記憶に触れる第2幕。
<原作ではどんなシーン?>
原作では、 原作では、「記憶の国」を主人公たち兄妹が訪れ、亡き祖父母や昔飼っていた犬、貧しさのため死別したきょうだいたちと再会します。「だれかがおぼえているかぎり、ほんとうには死なない」「だれかがちょっと思ってやれば、ああして、すぐに目をさますことができる」こんな言葉が印象的でした。幸せなひとときを過ごした後に主人公たちは青い鳥を見つけてカゴに入れましたが、記憶の国を離れた途端、鳥は黒い姿に変わってしまいました…。原作の主人公たちは、この「記憶の国」を最初に訪れ、その後に御殿に行くんですが、その順番がSkyでは変わっていて、色々練られているなーと思いました。
<第2幕、どんな解釈をする?>
大好きだった家族との素敵な憶い出があなたを一瞬幸せにしてくれるとしても、それは幼子にとっての幸せとは言えません。
【第3幕 『開演準備』】
お好みの衣装を身に着けパフォーマンスを披露する第3幕。大歓声の中に、ついに青い鳥が姿を現します。しかし…これまでと同じように、星の子が鳥を捕まえると、それは黒い煙となって消えてしまい、紙ふぶき好きのいとこは衣装を失ってしまいました。あるいは…全て夢だったのでしょうか。
<原作ではどんなシーン?>
原作物語に、この演出と対応する場面は見つけられませんでした。強いて言えば、「美しいものを見るよろこび」を表現したものでしょうか。
熱狂するひと時は一瞬だけ悲しみを忘れさせてくれますが、夢から醒めた時、あなたを幸せにしてくれるとは限りません。
【第4幕 『森』】
木こりの親と共に、青い鳥を探し雨林を進む第4幕。
<原作ではどんなシーン?>
「月夜の森」を訪れた兄妹。森の木々たち、その木々たちの長老である大きな樫の木、狼やたくさんの動物たちが兄妹を待っていました。 自分たちの同胞親族を数え切れないほど切り倒し、食べてきた人間の事が憎くてたまらないのです。更には自然の秘密の全てを知る青い鳥までも欲しがるだなんて…!
<画像注釈:木々に突き刺さった斧が、自然の嘆きの声を伝える>
原作のこのチャプターでは怒り狂う自然 vs. 主人公たちの結構な暴力描写がありますが、Skyではかなりマイルドな形に描かれていました。…うーん、生きていくのに必要なことさえ、青い鳥(長老ver.)からは許されないのでしょうか……(原罪?)。あるいは、必要以上に切り過ぎ、食べ過ぎた罪なのでしょうか。
【第5幕 『未来の王国』】
運命を知り誰かのもとへ生まれる子どもたち。星の子がその旅立ちを助ける第5幕。
<原作ではどんなシーン?>
原作でも「未来の王国」という名称が使われており、Skyで為された演出と類似しています。未来の子どもたちをゲートから送り出すか、まだ王国に留めるのか判断するのは、「時」という名の番人(祖たる賢者はこれを演じたのでしょう)。 Skyで3人の子どもたちが語る運命はどれも活躍する姿を謳った輝かしいものでしたが、原作では「3つの病気にかかる運命」の子や、「2つの罪を犯す運命」の子らも登場します。
「時」は大いなる力に従うのみで、時が満ちた者を送り出し、満ちていない者を王国に留まらせます。
原作では、青い鳥を捕まえる場面が描かれた未来の王国。しかしSkyでは、運命に阻まれたのか、鳥を捕まえることはできませんでした。
<第5幕、どんな解釈をする?>
これは難しいですね…強いて言うならば「運命に流されるがままでも、運命に抗おうとしても、あなたが幸せになれるとは限らない」でしょうか。
【第6幕 『目覚め』】
ばらばらに幸せを模索していた精霊たちが1つの輪を作り、青い翼となり飛び立つ第6幕。
目覚めた(覚醒した)のは、幼子であり、星の子でもありました。
<原作ではどんなシーン?>
原作では、未来の王国で確かに青い鳥を捕まえたきょうだい。しかし自分の家の前に辿り着いたとき、いつの間にか鳥はその青さを失っていました。 1年の長旅の成果を上げられず失意の兄妹。でも、2人には世界がそれまでとは違って見えています。眠りから目を覚まし、大好きな家族との「再会」に大喜びの2人。大人たちは2人の子どもが長い長い旅をしていたことなど全く知らない様子。それどころか、旅先で経験したあれこれを親たちに話しても、お酒でも飲んだのか、病気じゃないのかと疑われる始末です。全ては1晩の夢の中の出来事だったのでしょうか…。
そこへ冒頭の病気の娘を抱える近所のおばあさん(子どもたちは魔法使いだと信じています)が訪問し、主人公の飼っているコキジバトを譲ってほしいと声を掛けます。コキジバトを見ると、なんと青い鳥の姿。こんなに近くに居たなんて!
青い鳥を譲ったところ、起き上がれなかったはずのおばあさんの娘は急に歩く…どころか走れるようになり、皆奇跡に沸き返ります。ふとした弾みに青い鳥は飛び去ってしまいますが、何度でも見つけられる、何度でも探す必要があるのだと主人公は悟ります。
「青い鳥は、いま、きみのすぐそばにいるかもしれないよ。」と読み手に呼びかける台詞で、原作青い鳥の舞台は幕を閉じます。
<第6幕、どんな解釈をする?>
富、素敵な憶い出、熱狂のひと時、自然との調和、未来への希望。
個々の追い求める幸福は、幼子にとってのそれには成り得ませんでした。
失意の家族が集う時、それぞれが大切なものに気付き、ついに幼子は悲しみから解放されました。
でも、それも一時のこと。
これから先も、嬉しさ、悲しさ、たくさんの運命が待っています。それでも、青い羽根の痕跡を「追い続けること」。
その体躯を捕まえる事は一生できないのかもしれませんが、歩んだその道が、あなたの生きた証となります。
【あとがき】
以上、第1〜6幕と原作『青い鳥』(江國香織 翻訳版)との対比から物語を読み解きました。
長文をお読み頂いた皆様、ありがとうございました!
最後に宣伝ですが…
著者はSkyの様々な季節や日々をもとに二次創作曲を製作する活動をしています。
この季節のために書いた『Glimmering Blue』、お聴き頂けますと これ幸いにございます。