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王国で、何が起きたのか?#2

さて、これからは季節ごとに見ていきましょう。いつなのか分からない季節は飛ばします。

まずリズムが弾ける季節と夢かなう季節、それから表現者たちの季節は峡谷時代、それも近い時期であると思われます。なぜなら精霊の記憶の中で共通する精霊が比較的多いからです。しかもこれは峡谷のみに特に多いのです。季節全体の雰囲気も華やかで、特に夢かなう季節と表現者たちの季節ではダイヤがふんだんに使われており、まさに文明の最盛期と言えるでしょう。 ただし、共通する精霊が多いことは、それだけ峡谷時代が、繁栄の時期が短かったということの裏返しでもあるかと思います。

魔法の季節は王国末期、闇の嵐と闇の生物が発生した直後であると思われます。方舟に描かれた壁画では雷のようなもので船が墜落し、暗黒竜が現れています。この季節のオープニング文には、「かつて、とある精霊の一団が成功を夢見て船旅へ出で立ちました(A group of Spirits started their voyage towards prosperity.)」とあります。prosperityには金銭的な成功というニュアンスがあります。また季節クエストクリア後を見ると分かるようにこの船は商船です。意気揚々と魔法を積んで出航したわけですから、最初は何事もなかったのでしょう。まさに航海の途中で闇の嵐と闇の生物が発生したのではないかと思われます。

このことは方舟に描かれた壁画からも読み取れます。出発したと思われる場面では星のようなものが多く見えます。つまり晴れているはずです。

 

その後雲が現れると同時に雷のようなものが落ち、舟は墜落します。

 

 

楽園の季節は恐らく峡谷時代でしょう。観光文化がありそうな時代なので。

この時には既に峡谷から遠く離れた草原の離島でなければこのような豊かな生態系は見られなかったのかもしれません。

また、寒い峡谷の住民にしてみれば南国のようなこの島々は魅力的に映ったかもしれません。

落ちて割れた鐘については、闇の嵐が最盛期はここまで及んでいたことを示していると考えます。

 

瞬きの季節も観光的側面が強いため楽園の季節と同時期かと思われます。楽園の島々が海の観光地なら、草原連峰は山の観光地というわけです。

預言者の季節は恐らく孤島時代の末期です。ここの壁画で「王子(後述)」のような人物が現れます。この人物は各試練で4つの知恵を手に入れ、それを4つの地域に分配し、最終的に各地域を思わせる円環の中で光り輝きます。

 

この人物が終始金色で描かれることからも、この人物が特別視されていたことが分かるでしょう。

 

羽ばたく季節より前に深淵の季節に触れましょう。

この季節は王国が滅びたあとのものだと思っていたのですが、そうでなくても成り立ちそうです。たとえば王国末期にはダイヤやその材料になる鉱石が貴重な資源になっており高値で売れたとしたら、危険を顧みず廃墟からダイヤや鉱石を集める者達が現れても不思議ではありません。というわけでこの季節がどの時期かについては保留です。

羽ばたく季節の第4クエストから第5クエストでは、王国末期と思われる描写があります。

まず画面が揺れ、風の街道エリアが捨てられた地のように暗くなります。 忘れられた方舟方面への入口から岩と共に黒い風が吹いてきます(暗黒竜のものと思われる赤いサーチライトも見えます)。そして鳥達が乱気流に巻き込まれてしまいます。

鳥たちを助けた後も災難は続きます。大きな岩がいくつも飛んできて合体し巨大な岩になり、そこから巨大な蝕む闇が生え、そして風が止まってしまいます。その蝕む闇には鳥やマンタなど光の生物が囚われてしまうのです。

正直これだけで滅びるには十分だと思うのですが、これはまだ序の口であったことが砕ケル闇ノ季節で分かります。

暴風域の山から闇の破片が落ちてきます。

 

 

地面から生える赤い岩は触れるだけで星の子の光の翼を散らし、赤い岩の生えた闇の蟹は気絶することなく星の子を吹き飛ばし、浮遊する赤い石も星の子の光を奪う…闇の生物についてもそうですが、光の翼をいくつも持つ星の子でさえ苦しむほどなのですから、精霊や生物はひとたまりもなかったに違いありません。

 

その周りに現れる蝕む闇も厄介です。 蝕む闇が精霊や生物を囚える描写はいくつかあります。

 

 

雨林の涙ぐむ光坑夫精霊たちは王国末期のこの闇の破片の落下による落盤と蝕む闇の増殖に巻き込まれたのではないかと私は推測しています。

砕ケル闇ノ季節の直前には暴風域にも壁画が追加されました。そのタイミングから、この季節に深い関わりがあるのではないか、とも言われているこの壁画には、大きな人物が山の上で頭上のダイヤに光を集めている、あるいは頭上のダイヤが光り輝いている、その下で多くの精霊が拝んでいる様子が描かれます。

 

個人的にこの場所は天空に向かう際に通る壊れた建造物の頂上ではないかと思います。山の上にありますし、周りにある6つの何かは大精霊像を思わせます。

 

 

そして蝕む闇を溶かして赤い闇の破片を浄化するとマンタやクラゲ、蟹などの生物の像が現れ、集めるとそれが光になって天に昇っていきます。これは精霊の記憶の解放と似ています。つまり生物の魂を天に送っているのではないかと推測できます。

 

 

 

 

闇の破片は「原罪よりこの地方に墜ちた闇の破片」とゲーム内で言及されます。そしてこの季節が季節のマークや

 

オープニングからして

 

原罪のダイヤに大きく関連していたことからも、闇の破片もその中にあった生物の魂も、原罪のダイヤの中にあったと推測できます。つまり原罪のダイヤは生物の(それも恐らく膨大な数の)魂を吸っていたのではないかと思うのです。

なぜか。Skyの中で見られるダイヤは炎を吸収しなければ起動しないからです。

コンセプトアートでは、炎は生物に結び付けられます。また、星の子も胸からキャンドルを出し、その時胸にある光は消えます。生命の魂が炎であるなら、生物から炎を集めることは可能なはずです。

暴風域の壁画が砕ケル闇ノ季節に関連するならば、その壁画にあるダイヤは原罪の大きなダイヤであるはずです。あの壁画は生物の魂を大きなダイヤに吸っている様子なのではないかと思いました。

 

ではなぜそんなことをしたのか。その話に移る前に、AURORAの季節と追慕の季節についても触れましょう。

とはいえAURORAの季節(というかバーチャルコンサートですが)についてはこの記事(https://trnk999.wixsite.com/vcos/forum/auroranoji-jie/aurorabatiyarukonsatonokao-cha )でほとんど考察していますが。

AURORAの季節については一点だけ。第4クエストについてです。

王国で戦争が起きていたあの時期に、「現在の」暗黒竜が誕生したのではないかと思うのです。

あのクエストでは3匹の暗黒竜が出てきます。うち2つは小さく、最後に出てくるものは大きい。

小さい方の暗黒竜の出番は短い。負傷した希望の君精霊の元に向かう戦士の精霊たちの前に立ち塞がりますが、

 

つぎのシーンでは腹を刺されてひっくり返っているのです。

 

このことから、一般の精霊はともかく戦士にとってこの小さな暗黒竜は脅威でもなんでもなかったことがわかります。なんならもうこの時代にはこのような小さな暗黒竜はうようよしていて、効率的な撃退法もとっくに編み出されていたのかもしれません。

 

しかし、この後大きな暗黒竜が現れるのです。

 

 

希望の君を運んでいない方の戦士の精霊は剣を投げます。

 

あの暗黒竜に向かって、すごい勇気だとは思います。あるいはこの暗黒竜の恐ろしさを知らなかったからできたのかもしれません。小さい暗黒竜のように、すぐに倒せるものだと思ったからこそのこの行動だったのではないでしょうか。つまりこの「大きな暗黒竜」のことを彼らは見たことがなかった、その恐ろしさを知らなかったのではないでしょうか。

武器の投擲はこの後の追慕の季節での傷ついた戦士精霊の記憶にあるように、この時代の戦い方としてはごく一般的なものだったようです。威力は大きく、しかも狙いもかなり正確。この場面でもまっすぐ頭を狙っています。少なくともどこかには刺さってダメージを与えるはずなのです。

しかしそれに対する答えは無情です。

ここで初めて、小さい暗黒竜は出さなかった赤いサーチライトが出るのです。

 

 

 

結局精霊たちは隠れざるを得ませんでした。確かに武器を投げたにもかかわらず、暗黒竜は何事も無かったかのように悠々と飛んでいきます。

 

2シーンで簡単に撃退された小さな暗黒竜に比べ、大きな暗黒竜は5シーンも使ってその恐ろしさを見せつけます。これが現在の、対処しようがない、恐ろしい暗黒竜が、戦場に「初めて」出現した瞬間だと私は思うのです。

 

追慕の季節に移りましょう。この季節の精霊たちは戦争末期、あるいは戦争後に書庫に身を寄せた数少ない生き残りの精霊たちだと思います。当時王国がどのような様子だったかは精霊たちの記憶を通して垣間見ることが出来ます。

 

喪失の老人精霊は兵士になった子供を失います。戦時下ではよくあることと言えばそれまでかもしれませんが、当然身近な者の死は悲しいことです。

 

懇願する幼子精霊は共に遊んでいた大人を失います。その場で殺されたか連れていかれて二度と会えなかったかは分かりません。おもちゃが破壊されているのであの遊びが良くなかったのか、

 

それともそれは口実にすぎなかったのかすら分かりません。 ただ、読み取れることがあります。

兵士が一般市民をいきなり逮捕する、あるいは裁くことが出来る、ということです。その権限があった。

 

それほどこの時代の兵士には力があったのではないか、ということがわかります。

ぬき足の茶人精霊は看病していた老人を失います。恐らくはあの「茶」は薬草茶であったと推測します。看病していたから、というのもありますが、その後の記憶も関係しています。 兵士の後ろをぬき足で、気づかれないように通る。ムービーでは1度覗いてから隠れ、目を閉じて深呼吸し、それからぬき足で歩き始めます。

 

 

 

なぜそれほど用心しなければならなかったのでしょうか。そもそもなぜ兵士はあそこを見張っていたのでしょうか。

あそこは単に壁が崩れている場所に見える。少なくとも正式な門には見えません。単にあそこを通っての往来が禁止されていたとすれば、わざわざ見張りをおかず塞げばいい。あるいは両側に見張りを置くべきです。つまり限られた者だけを通すことになっていたのだと思われます(茶人精霊は後ろを通っているのですからどうやら抜け穴があったようですが)。茶人精霊があれほど用心していたところを見ると、茶人精霊のような者が入っていると知れたらただでは済まなかった可能性が高いです。なぜなのか。

そこに入って、茶人精霊は何かを採取しています。

 

あれが薬になるもの、あるいは栄養のあるものだったから、見張りがいたではないかと思うのです。

そもそもあの時代は資源の少ない時代。薬になるものも少なかったのかもしれません。そんな時代に兵士が権力を持ったらどうなるか。もちろん、自分たちのために独占するでしょう。戦い、傷を負うのは自分たち。戦いもしない、役に立たない市民に使うなんてもったいない、などと言って。

それでも茶人精霊は危ない橋を渡ってまでそれを取りに行った。老人の苦痛を少しでも和らげるために。しかし、老人は死んでしまったのです。

傷ついた戦士精霊も精霊を亡くしますが、最初は随分気楽です。槍を投げて相手が逃げていくのを喜び、相棒とハイタッチして、花を買おうとする。

 

 

 

 

 

しかし、恐らくは追い払った精霊たちによって、目の前で精霊が死にます。

 

 

親しかったかどうかは分かりません。しかし守る対象だったはずの無辜の市民が、なすすべもなく、目の前で死んだという事実だけでも、この精霊の心に深い傷を残したに違いありません。

このように、戦争末期、王国の終末期はかなり過酷な社会情勢だったようです。