なぜ9月初めに水辺で遊ぶのか、ピンとこない。
日本では、恐い謂れもあるし、水温が下がり風邪をひきやすくなるし、海だとクラゲが大発生して危ないし。
実際これを書いていたつい先日も、所用で沢に入って過ごしていたら風邪をひいた。あの子(風邪)は意地悪だ。隙を狙い撃ちしてくる。もう本当…気をつけてほしい…(泣)
比べて申し訳なく思うが、目だけでも楽しめるskyの世界は、そういう不自由さを取っ払って純粋に楽しく過ごせるところが良い。
陽光の日々、2022年に開催された同じようなイベントは「陽光の名残り」という題だった。
調べたところ、アメリカやヨーロッパ南部、そのほかの地域でも、夏の暑さが和らぎ、観光シーズンが終わり賑わいが落ち着く頃に、過ぎ去る夏を想い、余韻を楽しむ文化があるようだ。
つまりは、雲の下でも空の上でも、何故だか過ぎゆく季節の余情を味わいたくなる、そんな時期なのだろう。
バケーションシーズンでも働く者達はいるわけで。
寧ろ、サービス業や休日が増え人員が少なくなる業種は忙しくなる時期で…お疲れ様です。ありがとう。
どうか誰かが置いてきぼりにならないように、少しでも思い出を共有できますように。
そうやって星の子ども達は、陽気な名残りを集めてくる。
忙しいと心を忘れがちだけど、精霊達はそんな星の子の行動を受け止めてくれる。…いや寧ろ、この機に乗じて、夏を楽しもうとしてるのかな?
それぐらい強かな方が安心できるよ。
酷暑、病気、忙しさ。
何者かに行動が縛られている時、心だけでも出かけたくなる。
思えば、いつかそんな事があったね。
どこにも行けない、どこかに行きたい、そうして旅した心が辿り着いた空の王国。
沢山の出会いがあって、ここが居場所になった星の子もいて。
安心できる場所、心が自由になる場所。あの時、どんなに救われたか。
旅立った子たちもいるけれど、ふと夜空を見上げると、眩しかったあの頃の名残りは、何ともなしにまだ輝いている。
元気でいるといいなぁ…と、空の王国を臨むガラスの窓越しに願ってしまうのだ。
今有るもの、過ぎ去ってしまうもの、ほんの昔にあったもの。
それらに耽る時間が、物の哀れってやつなんだろうな。
失う寂しさが心の自由を奪ってしまうなら。
今有るうちに、ありがとうって、また会えたら嬉しいなって、心のどこかで思っておきたい。
ところで、あの赤と白のクッションは、賢者おじじがご所望だったのかな。
お仕事が終わったら、あの仲良しな精霊さんと一緒に、ゆっくり過ごしてほしいねぇ。
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書いているうちに読みたくなった物語
ティファニ-で朝食を / カポーティ,トルーマン【著】〈Capote,Truman〉/村上 春樹【訳】 – 紀伊國屋書店ウェブストア|オンライン書店|本、雑誌の通販、電子書籍ストア