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『ふたつの灯火』から見る「光」

Skyという世界にとって重要な要素である「光」。

この光とは何なのか。『Sky ふたつの灯火-前篇-』と『ふたつの灯火の季節-前篇-』を通して考察していきます。

 

※アニメーションプロジェクト『Sky ふたつの灯火-前篇-』は連続したスクショや動画の転載が禁じられています(公式ブログ「Skyの始まりの物語へ:ふたつの灯火の季節-前篇-」)。万全を期し、この記事ではシアターエリアで観られるアニメーション映画、並びに課金アイテム「記憶の映写機」で観られる映像のスクショ等は一切掲載しませんので、各々ゲーム内にて視聴していただくようお願い申し上げます。

 

 

Skyの光とは、星の子である我々プレイヤーにとってとても身近なものです。

希望の番人の闇をキャンドルの火で溶かすことから旅は始まり、原罪のその先で精霊たちから羽を受け取って再び王国に戻るまでの間に、扉を開け、精霊を助け、キャンドルを精錬し、星の子と知り合い、行き先を示し、高く飛び、ダメージを回復し……ほとんどのことが光に関係していると言っても過言ではないくらい、Skyという世界は光でできています。

ふたつの灯火では、光について新たな発見がありました。光は空から落ちてくる、光は植物も成長させる、キャンドルの精錬方法、精霊も光を持っている、光を失うと死ぬ。そしてゲーム内でしっかりと表現されたわけではないのですが、光と闇は循環するということがメイキング映像(公式ツイート「メイキングオブSkyふたつの灯火 エピソード1:物語」)により明かされました。

 

光は空から落ちてくる。

前述したメイキング映像でも語られていますが、光は星々が落ちてきたものなのだそう。降り注いだ光の粒は王国の生物や植物を育む。季節では第2クエストで隠とん者に頼まれて種を取る時、地下の植物は光の粒をまとったようなエフェクトが出ていました。またアニメーションでは兵士たちが砂浜に降り積った光の粒を装置で回収したり、孤児が手で拾い集めたりしていました。光が物理的につまみ上げることができる粒だと知れたのが、個人的にはふたつの灯火で2番目に驚いたことです。

 

光は植物も成長させる。

王国には草花の他に光を内包して回復してくれる植物(光のキノコ)がありますし、現実でもほとんどの植物が成長に光を必要とするのでこれ自体が驚くべきことというほどではありません。驚くべきことはその成長速度です。アニメーションでも降り注ぐ光が触れただけで枝葉が瞬時に伸びていました。にも拘わらず、ふたつの灯火の時代、植物はほとんど生えていません。また、地下の忘れられた神殿内に垂れ下がっている植物や、究極のケープで入れる建物内にある木々は光をまとっているようなエフェクトがついています。種類か大きさかはわかりませんが、光のキノコだけではなく、光の木や草も存在したのかもしれません(残念ながら現時点では近付いても星の子は回復しない)。

 

キャンドルの精錬方法。

孤島にはキャンドル職人という精霊がいますが、彼の記憶を辿ってもキャンドルの精錬方法はわかりません。花鳥郷でも箱に入った光に手を突っ込んでゴソゴソしているだけで、何をしているのかさっぱりわかりませんでした。ふたつの灯火で判明したキャンドルの造り方は、光の粒を液体状にして型に流し込んで冷やし固めるという単純なものです。花鳥郷のキャンドル職人はおそらく光の粒を選別しているか、個体を液体にする作業中かと思われます。星の子は光のかけらを集めて精錬しますが、精霊たちも同じことをしていたということですね。

 

精霊も光を持っている。

このことがわかりやすいのはアニメーション第3章で隠とん者が光回収装置を倒すシーンです。隠とん者の頭に注目してもらいたいのですが、装置を倒す前に兵士に止められている時には無かった結晶が、倒した後に兵士に抱えられている時には生えています。このシーンの前後のマナティの体を見ると、同じように装置発動前は綺麗だった体には、結晶がびっしり生えていました。このことから、生きて体内の光を失うと結晶が生えることがわかり、マナティと同じく精霊も体内に光を持っていることがわかります。

 

光を失うと死ぬ。

光回収装置によって犠牲になったマナティたちを見るに明らかです。体内にある光は生き物にとって命そのものとも言えるでしょう。つまり、精霊も光を持っているという上記の結論も踏まえると、結晶病を患っている精霊は早いうちに死ぬと考えられます。故に玩具職人は、やはり第1クエストの後に亡くなったと考えるのが妥当でしょう。そして世界から光が失われつつあるふたつの灯火の時代、遅かれ早かれ彼らは一人残らず結晶病を患うと思われます。

 

光と闇は循環する。

光が循環することはコンセプトアートで以前から知る人ぞ知るものでした。今回、映画用に新たに描かれたと思われるイラストが上でも紹介したメイキング映像と映画パンフレットにあるのですが、そこでは闇も循環することが描かれています。光が循環することは明言こそされていないものの、転生、AURORAコンサートで描かれています。闇の循環は描かれたことがないと思いますが、砕ケル闇ノ季節の第2クエスト(公式ツイート「闇の蟹の残滓…」)がそれっぽいかもしれません。

 

 

王国のテクノロジー、ダイヤについて。

ふたつの灯火では光に関連するテクノロジーとしてダイヤも大きな役割を果たしています。日本語公式生放送「映画『Sky ふたつの灯火 -前篇-』公開記念 スペシャルトークショー」では、この時代にはお茶を沸かすにもダイヤが使われており、キャンドルは失われて久しいテクノロジーであると話されています。

ダイヤはリリース時から王国のあちこちに存在するテクノロジーです。孤島の神殿の扉を開けるギミックが星の子が最初に出会うダイヤで、扉を開ける他に舟や建物を浮かせたり、生物や景色などを記録、再生(投影)するのに使われています。

材料はおそらくAURORAの季節と瞬く季節に出てくる青い結晶だと思われます。探鉱者や光坑夫という精霊名から主に雨林で採掘され、雨林大精霊のムービーから同じく雨林で加工されていたのではないかと考えられます。

ふたつの灯火では、ダイヤは主に光の粒を回収し、小塔が光を発して闇を退けるために使われていたのが印象的だったのではないかと思います。映画で統治者が初登場した時の大きなダイヤは、ゲーム内では原罪の奥にある赤いダイヤの元の姿なのではないかと思われます。何故あの大きなダイヤが赤くなり、岩を吹き出すようになったかはまだ謎に包まれています。

 

光回収装置。

兵士たちが砂浜の光の粒や、光の生き物から光を集めるために使っていた装置。精霊も光を持っている、で説明した通り、精霊からも光を奪える装置であることは明白です。故に兵士たちは起動後、装置から距離を取りますし、孤児や隠とん者が装置に近付けないように抑えています。

この装置から割れたダイヤを孤児が拾い、握り締めても無害であるように見えることから、ダイヤ自体が急速に光を吸収することはできないと考えられます。そのためこの装置が光を集め、ダイヤに充填していると思われます。

 

小塔。

光を充填したダイヤを嵌め込むと強い光を発する塔。ダイヤは交換式で、オンオフスイッチは無いように見える。交換する時に兵士が持っているダイヤは光を発していないので、小塔側に光を発するギミックが設けられていると考えられる。強い光は闇を一時的に退けることができるため、ふたつの灯火の時代、常時点灯状態を維持している。小塔の放つ光に照らされている範囲が、精霊たちが暮らしていける場所だったと考えられる。

 

捨てられた地と原罪山にあるパイプ。

ゲーム内では星の子から光を少しずつ奪い取っていく黒い水を垂れ流していることから、考察界隈では長らく、生き物などから光を奪い取った後などに出る廃水パイプなのではないかと考えられていた。が、ふたつの灯火により否定され、これらのパイプは各地から光を回収するため、もしくは各地へ光を供給するためのものであったことが判明。星の子が駆け回る今の時代、何故黒い水を垂れ流しているのかは不明。個人的にふたつの灯火でいちばん驚いた真実。

 

書庫の大精霊と記憶の燈。

映画にて、書庫の大精霊が額当てのダイヤを通して孤児の記憶を垣間見ているようなシーン、また、大精霊が持つ記憶の燈を通してマナティとの記憶を孤児が見るシーンが存在します。このことから、ダイヤは精霊の記憶を写し取ることができ、それを投影することもできると考えられます。

追慕の季節エリアである君憶う保存庫の壁画はこのことを描いていると思われます。また、書庫の内部(何階から何階までかは人によって考察がわかれますが)もダイヤによって投影された景色の中だと思われます。

更に、季節の案内人は日本語では大精霊の記憶の燈ですが、英語ではValt Elder’s Lanternであり、書庫の大精霊の記憶の燈であることがわかっています。記憶の燈が記憶の保存、投影装置であることを踏まえると、ふたつの灯火の季節で行けるエリアは書庫の大精霊の記憶であると考えられます。

 

光回収装置についてで、ダイヤは光を急速に吸収することはできないと述べました。ダイヤは光を吸収することが全くできないと述べることができないのは、記憶の燈がどうやって記憶を写し取っているのかを考えた時、おそらく微量の光を精霊から吸収しているのではないかと思われるからです。

精霊は光の生き物たちと同じように体内に光を持ち、それが失われると死ぬと考えられます。光は命そのものであり、命とは記憶なのではないか。つまり記憶の燈は、精霊から記憶という微量の光を吸収することで記憶を写し取り、それを投影することができるのではないか、と考えられます。
書庫は記憶の燈を大量に生産、保管している場所です。書庫が何のために記憶を集めていたのかは不明です。これらの記憶の燈をすべて投影すれば、在りし日の王国が、ある意味では蘇ると言えるかもしれません。微量な光でも大量にあれば、闇を退ける燃料になった可能性もあります。書庫(Vault of Knowledge)というエリア名から、ただ王国史を記録するためだけだったというのが有力ではあります。

書庫がダイヤによって投影された景色なのではないかと前述しましたが、そもそも星の子が駆け回っている王国そのものが、誰かの記憶を投影したものではないかとも考えられます。王国は既に滅びているにもかかわらず、エリアによって時代が違うかのような景色が広がっているからです。

精霊解放も、その時の精霊の記憶を持つ光が闇に囚われているだけで、精霊そのものがその場で亡くなったわけではないと考えられます。精霊の形をしているのは、精霊の記憶によって光が己を精霊だと認識しているからなのではないでしょうか。

書庫の大精霊の記憶の燈があるということは、大精霊も光の生き物や精霊たちと同じく体内に光を持ち、その光は大精霊の記憶を持っていると考えられます。

 

では王国のどこからどこまでが記憶で、その記憶は誰のものなのか

個人的には海ホームと天空以外はすべて記憶で、その記憶は数多の光による継ぎ接ぎなのではないかと考えています。地形などエリア全体の大まかな記憶は大精霊のものかなと思っていますが、細かいところ、建物とか壺や家具などのオブジェクトとかは精霊たちのものかなと(だって大精霊が個人宅の内装をいちいち知ってたら怖くないですか)。

花鳥郷がその良い例だと思っていて、花鳥郷全体の大まかな記憶は番人のもので、各店の内装などは担当精霊のもののように見えるからです。記憶というよりは願いや理想と称するほうが合っているかもしれませんが。

このあたりの考察は考察勢の中でも結構意見が違うので、私の考察を鵜呑みどころか参考にもせずに考えてもらえるといいかなと。そしてこの考察座で自論を発表してくれると嬉しいですね。

 

とっちらかってきたので締めますが、ふたつの灯火を通してわかったSkyの「光」とは、単なるエネルギーではなく命そのものであり、また命とは記憶でもあるということ。星の子が駆け回る王国は誰かの記憶であり、それは命を見るということでもある。そして光を受け取る、分け与えるというのは、命を預かり、繋いでいくということなのではないでしょうか。