この記事は、2025年11月のSkyArtFestにて、フリーペーパーで配布したもの(のベース記事)です。
(配布紙スペース的に入らなかったので、配布物は若干文言等変えています)
作品を読んでくれていることを前提に話しますので、作品リンクはこちら
『エモートSS 涙ぐむ』
ご挨拶
どうもこんにちは。七つ星(ゆっきぃ)と申します。はじめましての方もご存知の方もどうぞよしなに。
SNS等では「skyにハマったゆるい物書きです」と言っております。考察を小説にするタイプ。
考察を小説にするとは?
考察って、『その人がどんな風に作品を見たか』だと思うんです。作品解釈の一つ。10人いたら10人違う感じ方があって、skyの考察はそれを人と共有する遊びだと思ってます。
物書きをしていたおいらは、『おいらにsky王国がどんな風に見えるか』と言うのを表現するのに一番作りやすい形が物語でした。いつもは長い物を書いてるんですが、今回はご挨拶代わりに短い話を一つ持ってまいりました。涙ぐむ光坑夫のお話です。
何故そう書いたか
自分で解説するの恥ずかしいので「というわけで読んでみてください」で済ませたいけど、それじゃ駄目だよなーと書きます(笑)
・光坑夫の記憶は落盤事故の記憶ではないか。
光坑夫とは何か?と言われるとおいらにはハッキリと分からないですが。炭坑夫に近い職業ではないかと思います。石炭を掘る仕事をしてる人を炭坑夫と呼びますので、光坑夫は光を掘る仕事なのかな?と。
そう考えると、ツルハシのようなものを持っていたり、記憶の中で岩に挟まれたような精霊が出てきていたりしています。それがどういう光景に見えたかは、物語の方に書いていますので割愛しまして。
・演出考察
記憶を解放して光坑夫が涙ぐむ瞬間、星の子は下に下ろされます。この演出が密かに好きです。悲しみという感情は孤独であること、そこに他人である星の子からは手も光も届かないこと、ひたひたと足元を濡らす冷たさ。

星の子と言う生き物が初めて光坑夫の記憶を解放する時までに、目の前で同胞の死(二度と会うことのできない別れ)に立ち会うと言う経験は、ほぼ無いと言って良い思います。
その星の子に悲しみという感情表現を教えるには、物理的な距離や水の冷たさが必要なのかもしれないなぁ、と。何度目かに光坑夫を記憶を見た時に、ふと、そう感じてこの物語は生まれました。
・何故墓碑だと言い切れるのか
墓碑という名称は、パッチノートに出てきます。
Sky 星を紡ぐ子どもたち – 2020/9/8 – パッチ 0.10.5 (153939)とか。各エリアの最初の位置にあって、近づいたら解放した精霊たちが現れてくるあれを、墓碑と言うそうです。

2025年陽光の日々で、特定のものを写真に撮ってくるクエストがありました。その撮影対象の中に墓碑が含まれているのですが、光坑夫のいる洞窟内にあるこの三つのオブジェクトを撮影すると、墓碑の撮影がクリアになります。


壊れていても、ちゃんと墓碑です。
とか言いつつ日々変化していくソシャゲなので
仕様が変わることはとてもよくあります。来年の陽光の日々では、これらは墓碑判定にならないかもしれないし、光坑夫の記憶の内容が変わることもあるかもしれないし。
その時は、おいらの感じ方が変わっていくのか、やっぱり墓碑だと思う!となるのかはわかりませんけども。この作品は、今のおいらが感じた形、ということで。
では、今回はここらで。おいらの別の物語に興味がありましたら、冊子をお手に取っていただくか、Bluesky or X へどうぞ。おいらが見たsky王国は #七つ星のsky物語 というタグで、気ままに呟いております。
おいらの物語を通じて、またご縁がありましたらば、この上なく幸いです。