コンサートという祭礼

 

文量★★しっかり

 

 まあたぶん、正統派な考察は他の方々が書いてくれるだろうと思うので、おいらは変則的な紹介をば。

 

【AURORAクエストと古代ギリシャ演劇】

 

 まずは、会場となる円形劇場について。

 sky王国内に劇場と呼べるものは、峡谷の円形劇場、表現者たちの舞台、星月夜のうぬぼれやステージと3種類ありまして、AURORAコンサートに使われたのは円形劇場。

 新しくイベントエリアを作らなかったということは、円形劇場だったことに意味があると楽しいなと言う思考で話を広げます。

 

 峡谷の円形劇場は、劇場建築としては古代ギリシャ・古代ローマの劇場と同じ形。

 

オランジュの古代ローマ劇場(画像はhttps://g.co/kgs/cmQAm8 より引用)

 
 

 舞台は真ん中の円形部分(sky王国ゴールスケートリンク部分[リアル専門用語はオルケストラ])で、

背後に建物(sky王国:峡谷神殿[リアル専門用語:スケネ])があり、

客席はそれを囲むように円or半円のすり鉢状になっている。

 

真ん中で行われる演目が見やすいように、っていう構図です。

(日本だとあんまり馴染みが無い建築です。屋内&小規模なら円形劇場はたくさんあるけど、屋外で数千人単位だとギリシャやローマ遺跡の方が有名)

 

 オーロラ第2クエストの報酬で神殿入り口に増える部分は古代ローマの円形劇場だとプロスケニオンと呼ばれる部分です。

(しかし、プロスケニオンだけで検索すると某有名カードゲームが出てくるのでご注意くださいw)

(この部分がプロスケニオン)

 
 

 古代ギリシャ、古代ローマで劇場が何に使われてたかというと、演劇をやってまして。

 その演劇は現代でよく見かける娯楽や商業公演ではなく、国が制度として行う祭礼でした。つまり、国家事業。

 

 形式も現代の演劇とは違って、仮面を付けた役者が現れ、合唱隊([リアル専門用語:コロス])がその役者の心情を歌で伝える……という形式です。

 “歌って観客に伝える”演劇はオペラとかミュージカルとかあるんですが、それは役者本人が自分で歌うパターンで、

この、役者本人じゃなくて別の人がその人の歌を歌うってのが特徴の一つです。

 

 役者の心情を、別の者が歌で伝える。

 

 精霊たちの記憶を、AURORAの歌で辿る

というAURORAクエストは古代ギリシャ演劇に沿った形になってるなと感じました。

 
 

【祭礼による一体感】

 

 古代ギリシャ劇は、ディオニューシア祭(ディオニューソスを祝した大祭)のメインコンテンツでした。

 

 大祭を行い、劇場で公演をするのが重要だったという理由に、祭礼が共同体の結束を強めるという側面がある……というと、なんか堅苦しいんですが。

 

 平たく言うと、“一緒に特別な体験をすると、参加者に一体感が生まれるので、一緒に生活する人たちと特別な体験をして仲良くなっとこうぜ!”というのを、偉い人がやってた。という感じ。

 

(学校でやる体育大会とか合唱コンクールとか文化祭とかそういうのも、広く見れば同じ原理。共同体(クラスとかグループ)で特別な体験(授業と違う事)をして、仲良くなろうぜ!というやつ。ついでにその特別な体験が楽しければなお良し◎という)

 
 

「やべぇ、コンサートすごかったね!」→「それな!」というのが特別な経験から来る一体感で、

見ず知らずの子どもたちに対して、同じコンサートを見た、という仲間意識ができる。

 

 コンサートが終わると周りのこどもたちになんか親近感湧きません?

 Qweeendonで座った席から立ち上がる瞬間、隣の席をよく見ていると、火を灯し合ってないはずの黒子野良さんの姿が見えるようになっています。

(※2025夏から仕様が変わり、黒子のままになった模様。当時は同じチャンネルの全員の姿が見えるようになっていました)

 
 

 sky王国で言えば、互いの姿が見えるということは、知り合いになったということです。

(新たな知り合いを増やすクエスト参照)

 コンサートを経て、一緒に見ていた子に親しみが湧いている、ということを見た目でもわかるようにしています。

 もしかしたら、コンサート終わりのテンションで、そのままフレ申請したりなんてことも、あるかもですし。

 

 コンサート終わりに「●人の星の子どもたちと一緒に音楽の旅を楽しみました」というのも、規模を具体的な数値にすることで、一体感を実感させる効果があります。

 

 「●人も一緒にいたんだ!」って思えば、その感動も深まりますし。

 
 
 
 

【祭礼に参加するということ】

 

 一体感を得るという体験は参加者に仲間意識をつくる、という話。

 

 そこには『同じ空間で同時に経験する』ということ以外に、もう一つ要素があります。それは『そこに参加する』ということ。何かに参加して、それを経験することで一体感が強くなります。

 

 映画を見るより、現地ライブに行ったほうがテンション上がりません?

 映画館で映画を見るのも、同じ空間で同時に同じものを見ているのですが、画面の向こうの人と双方向にやりとりはしません。

 

 ライブだと、例えば曲に合わせて手拍子をしたり、拍手に演者が答えてくれたりして、双方向のやりとりがあります。

 その結果、そこに参加した、という感覚が生まれる。

 

 AURORAコンサートで言えば。文字通り、曲の中で光の生物になって、歌声と共に飛ぶという形でコンサートに参加しています。

 Qweendonは、コンサート会場に戻って星の子の姿のまま一緒に飛ぶので、参加と体験そのものです。

 

 曲が終ってトークタイムになると、『〜してみて』となにか行為を促されます。

泣いても良いのよ、とか、光の生物が来たら呼びかけて、とか。

 

 コンサートへの参加を促されてるわけです。

 
 
 

【個と群】

 

 一体感の感じ方にも、様々あって。

 個を保ったままか、群となり一体化するかというのに幅があります。

 

 コンサートって、歌の中で光の生物になって、群れで飛んだり泳いでいったりしたときに、

どこまでが自分自身の意識かという。

 

 群の感覚は、スイミーとかを思い出してもらえると、なんとなく伝わらないかなーと思うんですが。

小さな魚たちで集って泳いで、皆で大きな魚のフリをしよう、というやつ。

 

 集中と没入感の高い人ならば、歌声に導かれる多くの生物たちと一体になったように感じたり

自分がマンタや鳥やクラゲの群れになって、歌声に導かれて飛んでいくように感じたりします。

 

 自分の個というものが無くなって、周囲の一緒に飛ぶ全てが自分自身のように感じたという人もいるかなと。

 

 一方で、個でありつつ群の一部になる、という感覚もあって、

 これは一体感が無いのではなく、個としての自分と全体としての自分が同時に存在する感覚です。

 

 吹奏楽とか合唱とかやってると伝わりやすいのだけれども、“自分の旋律や自分のパートもあるけれど、全体の楽曲としての意識もある”みたいな感じ。

 

 自分に集中しすぎると周りのパートが聞こえなくなったり、

周りのパートに引きずられて自分の音程が狂ったり、合唱や合奏をしたことある方なら、なんとなくわかるんじゃないかなーというのがこの感覚かなと。

 
 

 個が消える場合も、消えないで一体感を得る場合も、どちらもある程度の訓練がいります。

 

 個が無くなるには強い没入感が必要だし、

個を意識しつつ全体として一体感を得るなら、自分と全体を両方同時に意識してないといけない。

 
 

 でも、そうやって参加して得た一体感は、達成感も加わって感動はひとしおです。

 

 AURORAの歌を聴く、光の生物が飛ぶムービーを見る、だけではなく、

『そこで自分(の星の子)が生物になっていた』という演出はゲームだからこそだなと思います。

と、同時にそれが強い一体感と感動を生む仕組みになっています。すごい。

 
 
 

【ママみとか宗教っぽさ】

 

 まぁ、なんか会場の選択とクエスト報酬を発端に、古代ギリシャ劇を中心に喋ってきたのですが。

 

 デイュオニューソスを祝して祭を行うことで、一体感を得る古代ギリシャ劇の構図が、

AURORAを神格化するようなコンサートで一体感を得る星の子と一緒だよね。などと言っても現代日本人は実感が薄いだろうなぁと思います。

 

 ただ、AURORAコンサートでのAURORAが『なにかとても大きな存在であった』と感じた人は多かったのではないかなと。

 

 『ママみ』とか、そういうやつ。

 そりゃもちろん実際の母親じゃないし、「ママーー!」って叫びたくなるけど、星の子がAURORAから生まれたとかそういうんじゃなくて。

 たぶん、『自分たちを受け止めてくれる大きくて偉大な存在』だと感じたんだろうと思っています。

 

 そういう感覚は、地母神信仰とか聖母信仰とかの近くにあります。

(気になる人は調べてみてくださーい。おいらもここで簡単に説明できるほど詳しくないw)

 

 古来から、演劇、歌、踊りなどの祭礼は神々に捧げるものでした。おいらが最初にあげた古代ギリシャ演劇もそうだし、日本で言えば神楽とか奉納舞とか、同じ理由を持つものは世界各国にあります。

 

 その演目で、演者が神々の役をやるという場合。

上演中はその演者が神と同一視されます。

 

 あれです。舞台上に役者さんがでて、「私は〇〇

です」って言ったら、観客は「ああ、あの人はの〇〇役なんだな」って思うやつ。

 ゼウスの仮面を付けて出たら、舞台の上にいる間その人がゼウスです。

 

 さらっと当たり前のように『AURORAを神格化したコンサート』などと書きましたが、

そう思っている理由は、コンサートにカーテンコールが無かったなと思っていて。

 

 カーテンコールって、演者が役として舞台に出てるわけではなくて、役者として観客に挨拶をする時間です。

 
 

 コンサートの後半、AURORAは巨大化し、半透明になり、星の子のように空を飛ぶ、『何か偉大な存在』になりました。

(それを神のようだと例えるかは人それぞれではありますが)

 

 カーテンコールを挟まなかった(AURORAは巨大な姿のまま消えていき、コンサートが終わった)ので、

それが“コンサートの中だけ、舞台の中だけのお約束”ではなく、コンサートの後も地続きの感覚として残ったから、そう感じる人が多かったのだと思います。

 

 画面が明転して、声だけでメッセージが聞こえる。というラストの演出も、『姿が見えず、どこからともなく声が聞こえる』という点で、人間らしいというより超常的な印象になります。

 この宗教っぽさは、ある程度、狙ってやってるなと。

 
 
 

 まぁ、そんなこんなで。ちょいと変わり種ですが、古代ギリシャ演劇からの考察など。

わかりにくいところあれば、おいらで良ければお答えします(たぶん)