これを書いている今、ゲーム「Sky 星を紡ぐ子どもたち」では「親愛なるファン・ゴッホへ」と銘打ったゴッホのコラボ季節が開催中だ。
とても美しく儚い、リスペクトに満ちた演出で釘付けになったファンも多いのではなかろうか。
かくいうわしも、そのうちの一人である。
ゴッホといえば。ひとつ思い出したことがあってね…
備忘録的に記したい。
上野の国立西洋美術館の常設展に、ゴッホの描いたばらの絵がある。
額縁の差し替えでちょっと話題になったことは記憶に新しい。
だいぶ昔の話になるが、ゴッホのばらをそうとは知らずに常設展で見た。
なんとなく見ていて、立ち止まり、なんだか衝撃を受けた。一瞬で目を奪われるというわけではなくて、こう、地味にじわじわと意識を奪われて、二度見三度見していくうちにまるで沼にはまるかのように視線が奪われ、目が離せなくなるような感じだった。
その時やっと、なぜ美術館には椅子が唐突に設置されているのかを理解した気がする。
あれは作品を見るためだったのか。
ゴッホの「ばら」は、カンバスから何か目に見えない強烈なものが溢れ出ていて、それに絡め取られたような感じだった。吸い込まれて逃げられないような。
あれは一体なんだったんだろう。
あいにくその時は時間がなく、数分ほど凝視したのちにその場を離れざるを得なかったのだが、できることなら唐突に置かれた椅子に座り、永遠にそこから動きたくなかった。
それほど強烈な印象だった。あれはなんだったのか、またなぜそうだったのかはいまだに説明できない。
何か太いロープのようなもので何かとグリッと繋がったような感じだった。
それは決して素晴らしいわけでもなく、とはいえおどろおどろしいわけでもなくて、ただ強烈だった。意識の全てが絵にくっついて、離れないような感じ。
絵から溢れる何らかのメッセージを読み取りたかった、と取れなくもないが実のところは自分にもわからない。
それから長い時が流れ、諸々のことが大きく変化した後に再び尋ねた時には、その何かはなくて、ゴッホの絵がそこにあった。ただ穏やかに、少しだけ不思議な感じで。
あの嵐のように引っ張ってくる何かはもう感じなかった。それは多分、受け取り手であるわしが変化したということなんだと思う。
絵からあれほど強烈な何かを受け取ったのは、今のところあれ1回きりだ。
わしはゴッホが好きなのか嫌いなのか、良いものなのかそうでないのかはよくわからない。
ただあの時のばらには、わしにとって強烈で生々しく、そして硬い何かがあった。
という話でした。